時は昭和23年。その男は大宮に滞在し、朝9時頃には起床して、昼頃から卓袱台に向かってペンを走らせ、夕方になると銭湯『松の湯』で風呂に浸かり、帰り道、氷川参道に並ぶ闇市を見ながら散歩した。そして夜にはゆっくりと食事を摂り、どこまでもゆったりとした規則正しい生活の中で、小説『人間失格』を完成させたのだった。
男の名は太宰治。昭和23年に自ら命を断つまで、数々の名作を世に送り出した文豪だ。
なぜ彼は大宮で『人間失格』を書いていたのか。それは、大宮に馴染みのあった筑摩書房社長の古田晃氏が、大門町で天ぷら屋を営んでいた小野沢清澄氏に部屋と食事を提供してくれるよう相談したことがきっかけだった。
そうして『人間失格』を完成させた太宰は、大宮を離れた1ヶ月後、自ら命を断ってしまう。小野沢氏には「次の仕事もまた大宮で執筆したいのでこの部屋は空けておいてほしい」と言い残していたという。
38年の生涯に幕を下ろした太宰は、大宮の地で出会った人たちに癒され、気持ちよく過ごしながら作品を完成させた。それは紛れもない事実だ。今も当時の面影を残す氷川参道では、夕方頃になると斜陽が樹々の葉に赤い光を投じ、太宰に癒しをもたらした大宮の風景を浮かび上がらせるのである。
写真提供:日本近代文学館