さいたま市の背中(200)『最終回』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

「来る3月末をもって当ブログへの投稿を終了せよ」

氷川神社にほど近いさいたま観光国際協会の事務所で担当者に告げられたのは、コートを着てもなお寒さ厳しい今年の1月下旬のこと。

14年に渡り好き勝手なことを書いていたし、昔とは違って今は色々なSNSがあるし、それらを駆使して僕なんかよりも遥かに有意義な情報を発信している「さいたま市愛」に溢れる人たちがいる中で、いつ打ち切りになってもおかしくはないと思いつつここまでやってきました。

このブログを始めたのは2008年。僕は社会ことなど何も分かっていない学生、要するに「コドモ」でした。元々自分のブログを持っていて、そこへの誘導目的と多少の地元愛を文章化してみたいと思い、ネット検索をして辿り着いたのが、「さいたま市民観光サポーター」の募集でした。以後、「さいたま市が世界に誇る、ガイドブックに載らないようなホットでシュールなネタ」を題材にして、公的機関のホームページに掲載するのはいかがなものか?(自覚はありました)という記事も含めて数多く投稿をしてきました。

自分で「これはマズかったかな?」という記事であっても、歴代の担当者からは「それで行け、いやもっと行け!」と、まぁ僕がそう勝手に解釈しただけかもしれませんが、基本的には(基本的には!)NGを食らうことなく、好き勝手書かせてもらいました。

完全にボランティアではありましたが、多少の恩恵もあったことを思い出します。博物館や花火大会の招待券を頂いたこと、お祭りに行ったら関係者用の弁当を恵んで頂いたこと、某大手新聞社の取材を一市民として受けたこと、何度かの飲みの席で奢ってもらったこと、合コンの数合わせで職員の方を1名貸してくれたこと、どれも普通に市民として暮らしていたら体験できないようなことをさせて頂きました。

終了を告げられて帰宅した後、「きり良く200号まで投稿して終了しよう」と決めました。それを実現するには残りの約2か月で約40本の投稿が必要でした。これまでは月1本ペースで投稿をしていたので、従来のペースだと3年以上かかる計算です。チョット厳しすぎる目標かなと思いましたが今回でやり遂げました。しかも1か月半で。後半はチョット駆け込み的な記事の連発になってしまいましたが。

好き勝手書いている記事でもネタ収集も含めたら投稿するまでに1本に付き2~3時間はかかっています。普段の生活や育児もある中でかなりの労力です。そんな時間はどこにあるのだ?と、最後の投稿ラッシュに観光協会の担当者はそう思ったかも知れません。なぜそれが可能だったのか。

その理由は2月上旬で仕事を辞めていたから。そのため無職期間の多くをさいたま市で過ごし「目指せ200号!」を目標に時間と情熱を全力投入することができたのです。それでも自画自賛にはなりますが、クオリティは下げず、可能な限り面白く、役立つように、広報になるように、と務めたつもりではあります。まぁ元々クオリティは高くなかったという説もありますが、微力であってもさいたま市の魅力発信に役立てたのであれば嬉しいです。

公的なブログということもあってかコメント機能はなく、観光協会からも放し飼い状態でしたので、外部からの反響を受け取る機会はありませんでした。もしかしたら観光協会側でクレーム等をブロックしてくれていたのかも知れませんが、もし僕の記事で読者を不快にさせることがあったとしたらこの場を借りてお詫びします。

このブログ自体は4月からはどうなるかは聞いていませんが、僕の活動はこの投稿で終了です。僕も4月からは転職先で新しい日々が始まり、再び「埼玉都民」となります。学生、社会人、結婚、育児、という人生の節目をこのブログと一緒に過ごせたことを大変嬉しく思います。これを今後は個人のSNS等で継続、となれば一種の美談?なんでしょうけど、冒頭に書いた通りそれは今や多くの人がやっていることだし、それに今更追従してもしょうがないのでそれをすることはないです。公的機関のブログという「威光」を利用して書かせてもらっていたこと、それが僕の大きなモチベーションでした。

最後になりましたが、長年に渡り温かく見守ってくれた観光協会の心の広い歴代の担当者Oさん、Nさん、Gさん、Aさん、Iさん(出会った順)には深く感謝申し上げます。

おしまい。

さいたま市観光サポーター まつ

さいたま市の背中(199)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(151~198号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(153)『渋谷区からさいたま市まで歩いて帰る(震災シュミュレーション)』2021年4月25日
歩くのが大好きな僕が、震災時を想定していつかはやってみようと思っていた企画。好きとはいえ24キロを歩き続けるのは苦行でした。結論として「東京から埼玉は歩くもんじゃない」と実感し、職場に留まるべきという回答を導くなど、割と真面目な記事になったのかなぁと自己評価。なお、この挑戦から約1年が経ちましたが、この時に記録した歩数は未だに破られていません。



(160)『(勝手に祝福)さいたま市誕生20周年お祝いメッセージ』2021年10月30日
生まれも育ちもさいたま市の僕のさいたま市愛を文章化してみました。このブログを始めた2008年は「住みたい街ランキング」にも入らないさいたま市でした。今やその上位に位置するようになり、多くの方が転入してくるようになりました。皆がそれぞれのさいたま市愛を語れるようになってくれたら良いなと願っています。



(169)『北海道にある浦和に行ってきた』2022年2月4日
日本全国を飛び回っている僕の出現率が高いのは大阪と北海道です。特に北海道ネタは多く記事にしてきました。この記事は僕の出身である浦和という地名が北海道にもある、というだけの記事なんですが、実際にその土地に立ったことは個人的には想い出深い経験でした。それ以上は特に膨らむような内容ではないのだけど、この先の飲み会ネタとしては使えるのかなと思っています。



(190)『婚姻届を出してきた(さいたま市で)』2022年3月8日
今まで個人のことに付いては書かないで来たけど、ここに来て放出することにしました。記事は2022年ですが、提出をしたのは2015年ですので、7年も温めていたことになります。・・・と思ったら、今回これまでの記事を振り返っていたら、2016年3月の100本目で「さいたま市夫婦誕生!」というタイトルで全く同じことを記事にしていたという衝撃。完全に失念していました。そして区役所に提出する前に「記念」としてコピーした婚姻届も今は行方知らず・・・。



(195)『2歳の娘とさいたま市で過ごした1年間について』2022年3月12日
どこからともなくこの世に降臨してきた娘と、さいたま市で過ごした日々を0歳から2歳まで記事にしました。彼女との日々は僕が幼少期にさいたま市で過ごして来た記憶を振り返らせてくれます。これからもさいたま市で成長して行く彼女と一緒に過ごす日々を楽しみにしたいと思います。・・・ということを2008年にブログを開始した学生時代の自分に言ったら驚くだろうなぁ。人生は不思議です。目的としてはさいたま市のPRだけど、個人的にも良い記録となった活動でした。

以上、過去記事の151~198本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。



さいたま市の背中(198)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(101~150号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(105)『早朝からラーメンが食べたい!(ラーメン凪 大宮東口店)』2016年8月5日
伝説の大人気シリーズ、と僕が勝手に解釈してライフワークにした企画の記念すべき第1弾。この企画は第5弾まで続きました。そしてここで紹介した全てのラーメン屋はコロナ過の荒波に揉まれつつも、本日現在全て営業継続しています。しかも大人気。朝ラーメンよ、永遠に!



番外編『盆栽に魅了されたタイ人による、タイでの盆栽ビジネスについて』2017年4月28日
さいたま市は盆栽の町としても知られています。僕自身はタイへの渡航が多いのですが、「タイでも盆栽を愛でる人がいるのかな」という素朴な疑問を持ち、バンコクに滞在をしている時に盆栽ビジネスをしているタイ人をネットで探し、現地でインタビューをさせて頂きました。インタビューを通して盆栽の奥深さや海外からの視点を学ぶことができて、僕自身が良い勉強になりました。これは普段のおふざけブログ記事ではなく物凄く真面目な記事なので、「さいたま市の背中」のナンバリングからは除外をしました。



(122)『東京オリンピックのボランティアに応募するか迷っています』2018年9月29日
今となっては懐かしすぎる悩みですね。結局僕はコロナウイルスの有無には関係なく応募をしませんでした。理由としては妻の妊娠が発覚したこと。そんな状態ではボランティアで家は空けられませんからね。で、その後にコロナウイルスが世に広まり、開催延長だ何だという流れになったのは皆様ご存じの通り。応募をしていたらどうなっていたのかは分かりませんが、いずれにしても開催に尽力した大会関係者やボランティアの方たちの活躍には拍手を送りたいです。



(129)『さいたま市民がさいたま市内のビジホに泊まってみた話』2019年2月23日
旅が多い僕でも地元では外泊をしたことが無い。だから地元のビジネスホテルに泊まってみよう。・・・と記事内では色々と理由を付けていますが、端的に言えば妻と口論の末の家出でした。しかし昔から知っている近所のホテルに泊まるという貴重な経験はリフレッシュになり、その後の夫婦の絆を深める契機になった、かどうかは分かりませんが今は円満です。このシリーズは第2弾まで続きましたが、その時は別に喧嘩ではなく堂々と泊まってきました。



(146)『さいたま市健康マイレージを活用して歩きまくれ!』2020年10月31日
歩くのが大好きな僕が、さいたま市が提供している「健康マイレージアプリ」で健康になって、ポイントも貯めて景品も貰ってしまおう、という誰かに頼まれた訳ではないけど宣伝のような内容になった記事です。宣伝効果があったのか、市や観光協会を経由して大手新聞社から取材依頼が舞い込み、紙面の端っこに実名でコメントが載ったという貴重な経験をしました。


以上、過去記事の101~150本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。

さいたま市の背中(197)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(51~100号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(52)『さいたま市民観光サポーター Returns』2011年6月26日
「さいたま市民観光サポーター」としてブログに投稿する条件の一つが「毎月1回以上投稿」というものでした。それにも係わらず、一度だけ半年近く更新しなかった時期があります。何をしていたかというと、転職で茨城県に人生初の市外転居をしました。当時は人生に色々悩んでいて、故郷を捨ててしまいたい衝動に駆られていました。当然そうなったらブログも更新できず自然消滅も止む無し考えていました。しかし自分の実力不足からその職場を短期で退職し、再びさいたま市に戻ってきました。そのタイミングで再びまたブログを再開し今に至る、というストーリーになります。我ながらもがき苦しんでいた20代だったなぁと想い出します。


(66)『祝W杯出場決定:その時さいたま市は!?』2013年7月7日
僕がこのブログをやっていることを知っている人は身近には殆どいないのですが、そんな数少ない顔見知りからの評判が良かったのがこの記事。「サッカーのまち」さいたま市民としてW杯出場を祝う記事を書くのが王道なのでしょうが、サッカーに大して興味の無い僕はそれを見つめる人たちを背後から観察してみました。警備中の警察官ですら居酒屋のパブリックビューイングに見入るくらい世の中が盛り上がっていた平和な光景が印象的でした。DJポリスとか懐かしいですね。


(69)『スカイツリーからさいたま市は見えるか』2013年12月23日
市内ネタばかりだとマンネリ化してしまうので、初めてさいたま市外を絡めた記事を投稿しました。特に担当者からは止められなかったので、旅の多い僕はこの辺から題材を拡大させて行きました。結果的にスカイツリーからさいたま市は(この時は)見えなかったというオチにはなりましたが。さいたま市がスカイツリーの招致を行っていたということを知っている人は今や少数でしょう。



(86)『けやきひろばビール祭り!』2015年5月18日
コロナ過で世界が一変してしまった中で、「けやきひろばビール祭り」は夢のような空間・時間だったと記憶に刻まれています。多くの来場客が三密の環境下でビールを楽しむ場は最早実現不可能なのだろうか。あぁ恋しい。



(88)『海を越えたさいたま銘菓』2015年6月14日
僕は公私で頻繁に国内各地を移動していることは折に触れて言及してきました。コロナ過前は海外渡航の機会も多々あり、渡航先からもブログを更新していました。この時はシカゴに向かう機内の中で、さいたま市銘菓である片岡食品のせんべいを食べたってだけのネタです。市外に出たからこそ、さいたま市を想う気持ちを強めるキッカケにもなります。それを文章化させてくれたこのブログは自分自身の為にもなりました。


以上、過去記事の51~100本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。

さいたま市の背中(196)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(1~50号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。なお、初期の記事は過去のシステム移行時に記事内の画像が削除されてしまっているのでご了承ください。


(1)『はじめまして!』2008年1月30日
記念すべき1本目の記事は2008年1月。当時の僕は大学院修了を控え、その時期にも就職先が決まっていないというヤバイ状況でした。「もぎたてさいたま情報ブログ」を開始した理由は、当時やっていた個人ブログ(現在は閉鎖状態)に読者を誘導しつつ、地元ネタを文章化したいという目的で、たまたま検索して見つけたさいたま観光コンベンションビューロー(現さいたま観光国際協会)のページに行き当たり応募をしました。応募当時の記録は残っていませんが、特に面談みたいなものは無く簡単なガイドラインみたいなものを貰って活動を開始した、という記憶があります。改めて記事を読み返してみると、当時は6人も先輩投稿者がいたようですが、最後まで残ったのは僕だけのようです。また文末で、「遅れを取り戻すべく、投稿数1位を目指します」と宣言していましたが、それは実現できたような気がします。自分で自分を褒めたいです。


(8) 『真夜中の別所沼公園と恋の想い出』2008年5月31日
このブログで何度も取り上げている別所沼公園と、失恋をした時のことを私小説風に綴ってみました。細かい経緯は省略しますが、あれから色々な紆余曲折七転八倒がありまして、結論から申し上げますと、ここに登場している女性が今の妻となっています。そして14年後はその公園を娘と訪れているのだから人生の巡り合わせは不思議です。


(31)『さらば!さいたま市(南区ver.)』2009年9月22日
実家を出て上京なりして一人暮らしを始める、そんな旅立ちの日は想い出深いものです。僕の場合は旅立ちとは名ばかりで実際は勘当同然で南区の実家を追い出され、探し抜いた場所が自転車で約10分離れた桜区でした。もしこの時に全く違う市外の土地に行っていたら、良くも悪くも僕の人生はまた別のものになっていたと思います。そしてこの時から13年後に再び南区に新しい家族と共に戻ってきました。自分事ながら成長して戻って来られたなという実感があります。

(41)『珍名シリーズ①鹿と手袋の町』2010年2月14日
日本各地には多くの珍しい地名がありますが、さいたま市にも少なからずあります。それを一つずつ取り上げて、実際にその場所に行って色々と観察をしてみよう、という企画でした。初回の「鹿手袋」は僕が育った町です。その後も候補地名は複数あったのですが、記事化は実現しませんでした。しかしながら、これを発展化させ、12年後の2022年に投稿した記事、(178)『さいたま市の難読地名をあなたは読めるか』に繋げました。




(49)『誰も知らない、らーめんハウス味好』2010年10月9日
僕の記事では飲食店を取り上げることも多かったのですが、14年もやっていると今日までに閉店してしまった飲食店も多くあります。その中の一つ、JR武蔵野線西浦和駅前にあった「らーめんハウス味好」を取り上げた記事です。こちらもいつしか閉店をしてしまい想い出の味が消えてしまったのは凄く残念ですが、こうして記事を振り返ることによって当時の記憶を呼び戻すことができます。今では日本全国にお気に入りの飲食店がありますが、ここが全ての始まりだったような気がします。



以上、過去記事の1~50本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。