さいたま市の背中(152)『3月11日の素晴らしきコンサート@埼玉会館』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

新年度になり新しい生活に入る、入った、という方も多いのではないでしょうか。
過去のことを振り返る暇があまり無い現代ですが、例えば一ヶ月前はどんなことが世間のトピックだったかパッと思い出せる方はどれくらいいるでしょうか。
今であれば「第4波」とか「まんぼう」とか「聖火リレー」などが関心の高いトピックだと思いますが、先月のトピックといえば「震災10年」が挙げられるのではないでしょうか。
そんなわけで今回は少し時を遡り、3月11日のことを書きます。

2011年の東日本大震災。

改めて当時の様子を動画などで振り返ると、物凄いことが起きたのだなと身震いがします。
ぼく自身は震災当時は短期間ですが、仕事の都合で人生で唯一他県(茨城県)で生活をしていた時期でした。
地震の名前に「東北」は付いていますが、茨城のような東北と隣り合う北関東でも被害はありました。
水道などのインフラは止まり、会社(工場)は短期間でしたが操業停止もしました。
もちろん首都圏の住民も帰宅難民であったり、計画停電であったり、多くの影響を受けたと思います。
いずれにしても言葉にならないくらいの出来事でした。

2021年、つまり今年の3月11日、皆さんは何を考え、どのように過ごしていたでしょうか。

ぼくはコンサートにでかけていました。

「こんな日に娯楽なんてけしからん!」なんて思いますか?
いや違うんです。

ぼくもですね、最初はそんなことを思ったんですよ。
コロナ禍でも様々な文化・芸術イベントが中止になったり、アーティストの収入が減ったり、一方で日本は文化・芸術軽視、欧州などでは日本に比べて支援が手厚い、などのニュースなどもありました。

しかし沈んだ心、傷ついた心に音楽の力は偉大です。
そんなことを特別な日に改めて実感したコンサートだったのであります。

そのコンサートとはこちら。

正直ですね、チケットを取った時点では震災とかそういうことは一切考えていなかったんですよ。
過去にブログでも何度か言及をしていますが、ぼくはクラシックギターを学生時代からやっていて、気になるコンサートのためなら趣味の旅行と合わせて日本全国どこにでも行きます。
ギタリストの村治佳織さんは別に熱烈なファンではないけど、著名なギタリストですし、それがさいたま市に来られるっていうことであれば、行かない選択肢はないな、と思ったんです。
で、チケットを取ってから、「あ、公演日は特別な日なんだな」と思い出したのが実際のところです。
ポスターをよく見ると「特別な日、祈りを捧げる演奏会」というフレーズも書いてありました。

やってきました、埼玉会館。
完成は1966年、近代建築の巨匠、ル・コルビジェに学んだ建築家、前川國男氏の設計です。。
浦和駅周辺は大規模な開発が進められているけど、その中でも異彩を放つ歴史的建造物でもあります。
著名アーティストの全国ツアーの埼玉公演などに組み込まれることも多くあるホールです。


なんかいいですね、こういう手作り感&ローカル感のある立て看板。


さて時代はコロナ禍。
コロナ禍でのイベント開催については報道等で見聞きしていると思いますが、クラシックコンサートなどの声の出さないイベントは大分緩和されるようになりました。
そらそうだ、クラシックコンサートのように黙って同じ方向を向いていればリスクは職場や飲食店、交通機関内に比べて相当程度に抑えられると思われますから。
とはいえ不測の事態ってのはやはりあるでしょうから、この日も厳重な感染防止対策が取られていました。
具体的には間隔を空けた入場、体温チェック、消毒、マスク、そしてパンフレットは手渡しでの配布は無しで自分で取って行くスタイル。
また、クラシックコンサートによく行かれる方はご存じと思いますが、こういう場では結構な数の公演チラシが配られます。
しかしコロナ禍ではすっかりその厚みも減ったと感じました。
コンサートの自粛や外国人アーティストの入国制限が影響しているのだな、とこういう部分でもコロナ禍の影響力を感じました。

開演前にホール内を激写。
席は左右両側を1席ごとに空ける対策が取られていました。
ぼくは肩幅が広いので、こういうコンサートホールの座席は狭くて、いつも窮屈を感じていました。
コロナ禍でクラシックコンサートに何回か行きましたが、ここだけの話、ゆったりと音楽鑑賞することができて少し喜んでいます。
その反面、マスクの息苦しさがあるのでどっちもどっちですが。

この日のプログラムはこんな感じ。
ギタリストの村治佳織さんにだけ注目をしていましたが、後半のソリストは小山実稚恵さん。
これまた超著名なピアニストです。

なおこの日は平日の16時開演のコンサートでしたが、(1席ごと空けた状態で)満員でした。
そりゃこの布陣だったらそうだろうなぁと思いました。
ちなみにぼくは仕事を早上がりして都内から駆け付けました。

冒頭は本日の指揮者、尾高忠明さんのプレトーク。
初めて生で拝見しましたが、トークがとても上手で引き込まれました。
震災当時のこと、コロナのこと、大変な時だからこその音楽の力について、熱を持って話してくれました。
やっぱり芸術って大事ですよ、こういう時だからこそ。
ぼくも改めてそう思いましたよ。

さて、コンサートが始まりました。
コンサートレビューはここのメインではないので詳しくは割愛します(←要するにレビューの才能なし)。
アランフェス交響曲は「ギター協奏曲といえばこれ!」という王道中の王道ですが、ぼくはあまり好きじゃないんですよね笑。
あのスペイン曲らしい日本人と真逆の情熱さというか、不安定さというか、リズムが揺れる感じ。
演奏自体はとても素晴らしく、よくロックやポップスのライブでは「声からCD音源」という誉め言葉がありますが、今回はまさに「手からCD音源以上」というクオリティ。
そりゃオーケストラが天下のN響ならそうなりますわな。

協奏曲を全て弾き終わり、アンコールの時間。
村治さんがチョイスしたのは、やはりというべきか震災のチャリティソングである「花は咲く」のギターソロ。
正直ぼくは原曲はファンではないのですが、これの演奏は本当に素晴らしかった。
ギターにしか出せない表現の豊かさ、アレンジの良さ、弦の音色・・・。
壇上のN響の演奏者たちも、シミジミと聴き入っているのが良く分かりました。
偏見だけどソリストのアンコールの時ってオーケストラの演者って落ちてる(ボーっとしてる)気がするんですよね笑。
でも今回はバイオリンとかピアノとか、他のソロ楽器に比べてクラシックギターのレアさもあって、観客のみならず演者も耳を傾けて聴き入っているように見えました。
今日が特別な日だからこそ。
なお音源があるかなと思って探したら本人の演奏がYouTubeにありましたので、興味がある方は「村治佳織 花は咲く」で検索してみてくださいませ。

後半は小山実稚恵さんの登場。
もうね、ギターに比べるとピアノはズルいですね笑。
オーケストラに負けない、いや張り合う音量、表現力。
特に最後の「火の鳥」の迫力は凄まじかったですわ。
これは名曲だから知っている方は多いでしょうね。

「火の鳥」のあらすじ、ご存じですか?
一部、Wikipediaから引用します。

イワン王子は、火の鳥を追っているうちに夜になり、カスチェイの魔法の庭に迷いこむ。黄金のリンゴの木のところに火の鳥がいるのを王子は見つけて捕らえる。火の鳥が懇願するので解放するが、そのときに火の鳥の魔法の羽を手に入れる。次に王子は13人の乙女にあい、そのひとりと恋に落ちるが、彼女はカスチェイの魔法によって囚われの身となっていた王女(ツァレヴナ)だった。夜が明けるとともにカスチェイたちが戻ってきて、イワン王子はカスチェイの手下に捕らえられ、魔法で石に変えられようとする。絶体絶命の王子が魔法の羽を振ると、火の鳥が再び現れて、カスチェイの命が卵の中にあることを王子につげる。王子が卵を破壊したためにカスチェイは滅び、石にされた人々は元に戻り、王子と王女は結ばれる

まつ流にザックリ解説すると「色々困難があったけど、最後は大円満&ハッピーエンド」。
まさに今の世の中に相応しい選曲だなと思いました。
こちらも音源・動画は無数にあるので検索してみてくださいませ。


というわけで、コロナ禍&震災10年に、地元さいたま市の埼玉会館で開催されたコンサートに行ってきたよ、という記事でした。

「コロナ禍&震災10年」
そうサラっと書いてしまったけど、人によってはその濃淡はあるだろうけど、基本的には「もうホントに何なの?」って世の中だと思います。
ここでどんな言葉を書いても響かないと思うけど、芸術に一瞬でも救いを求めても良いのかも?と個人的には改めてそう思った印象深い日となりました。

おしまい。

(参考リンク)
NHK交響楽団 尾高忠明(指揮)小山実稚恵(ピアノ)村治佳織(ギター)
埼玉会館 – 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団

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