どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。
子供の頃、赤白に塗られた鉄塔が東京タワーに見えたのは自分だけだろうか?
そんな疑問をずっと持っていました。他人に聞くことはないまま大人になりましたが、「あの頃の俺は馬鹿だったのか?」とずっと気になっていました。
時は流れ時代はネット社会に突入。ふと長年の疑問を解決するために検索をしてみました。
Twitter「この色のこれは全部、東京タワーだと思ってた」
Yahoo!知恵袋「子供のころ、赤い鉄塔が全部東京タワーに見えていたのは私だけでしょうか」
子供の感性は共通!僕が持っていたこの感覚は正常なものであったと確認することができました。素晴らしきネット社会。
さて本題に入りますが、僕が子供の頃に東京タワーだと思っていた鉄塔がさいたま市(旧浦和市)にあります。
それは、これだ!
どーん。
まぁ改めて見ると東京タワーというよりはロケットですが、無知な子供だった自分にとっては、「赤白で高い建造物」=「東京タワー」だったのですね。当然ながらこれ以外にも似たような鉄塔は日本全国に沢山あるので、頭の中には沢山の東京タワーがあったわけです。なんてアホな。
さいたま市桜区にあるこちらの鉄塔、正式名称は「平野原送信所」(以下、送信所)という名前です。その名の通り、放送用の電波を送信する機能を有しています。高さは173メートル。さいたま市で一番高い建造物とのことです。ホンマかいな?さいたま新都心のオフィスビルも結構なもんだぞ?
そう思い、僕が知る限りさいたま新都心で一番高いと思われる「明治安田生命さいたま新都心ビル」の高さを調べてみると、こちらは168.3メートルとのこと。どうやら「さいたま市で一番高い建造物」とは本当だと思われます。
この送信所が完成したのは1971年。僕が生まれる10年以上も前のことです。なお上記の「明治安田生命さいたま新都心ビル」が完成したのが2002年、同じく市内の高層ビルとして知られる大宮ソニックシティビルが完成したのが1988年なので、それよりも前から市内で一番高い建築物の地位に君臨していることになります(ちなみに埼玉県内で一番高い建築物は川口市にある高層マンションで185メートルとのこと)
年齢にして今年で51歳。いわば大先輩。50年以上も建ち続ける建築技術にも脱帽です。
僕が生まれる前から頃からあるこの送信所。日中は家からはもちろん、市内のどこからでも見えるし、夜は航空灯が灯りその存在感を年中無休で関東平野全域(かどうかは分からないけど、相当遠くからでも見える)に存在感を示しています。身近過ぎて逆に目立たない、灯台下暗し、わざわざ近くに行って見るものでもない。行ったところで東京タワーと違って登れるものではないし。そういう市民がほとんどではないかと思います。僕もこれまでジックリと近くで見上げたのは数回しかありません。
写真を撮りに行ったこの日は雨上がり曇り空だったので暗い写真だらけになってしまいました。「平野原送信所」で検索をすると青空を背景にした美しい写真が沢山ヒットしますので是非ググってみてください。
ここの送信所からはテレビ埼玉(テレ玉)が関東一円に、NHKさいたま放送局が埼玉県を中心に送信されているようです。
今となっては見ることが無くなった昔のテレビ埼玉(TVS)のロゴ。
今はこんなのですね。なお上記のロゴにある通り、現在の通称は「テレ玉」ですが、僕の世代は「テレビ埼玉」あるいは「テレ埼(てれさい)」と呼んでいましたので「テレ玉」は未だに違和感があります。あぁ、「僕の世代は」なんて、若い世代に嫌われる典型的なセリフだな。
送信所のある住所は桜区道場5丁目です。関係ないけど「道場」っていう町名、格好良いよね。実際に柔道や空手の道場が多いわけではありません。
NHKの施設であることを知らせる看板。これだけの施設を日本中に持っているのだから公共放送としての組織力は凄いと思わざると得ません。僕の支払っている通信料もこういう施設の維持管理に貢献しているのだなぁ。
こちらの送信所はさいたま市の南西、荒川沿いに位置しています。周りには田畑や緑地が広がり高層建築物は一切無く、場所的に今度も建つようなエリアで無いので存在感は抜群です。これだけを見に来ても「あぁ高いなぁ!」と感じてオシマイ、滞在時間は5分もあれば十分だと思うので、何かの用事で付近を通ったり、遠くから存在を確認したりした際には、是非寄り道がてらに訪問してみてはいかがでしょうか!
おしまい。
(参考リンク)
・Wikipedia-平野原送信所