さいたま市の背中(199)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(151~198号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(153)『渋谷区からさいたま市まで歩いて帰る(震災シュミュレーション)』2021年4月25日
歩くのが大好きな僕が、震災時を想定していつかはやってみようと思っていた企画。好きとはいえ24キロを歩き続けるのは苦行でした。結論として「東京から埼玉は歩くもんじゃない」と実感し、職場に留まるべきという回答を導くなど、割と真面目な記事になったのかなぁと自己評価。なお、この挑戦から約1年が経ちましたが、この時に記録した歩数は未だに破られていません。



(160)『(勝手に祝福)さいたま市誕生20周年お祝いメッセージ』2021年10月30日
生まれも育ちもさいたま市の僕のさいたま市愛を文章化してみました。このブログを始めた2008年は「住みたい街ランキング」にも入らないさいたま市でした。今やその上位に位置するようになり、多くの方が転入してくるようになりました。皆がそれぞれのさいたま市愛を語れるようになってくれたら良いなと願っています。



(169)『北海道にある浦和に行ってきた』2022年2月4日
日本全国を飛び回っている僕の出現率が高いのは大阪と北海道です。特に北海道ネタは多く記事にしてきました。この記事は僕の出身である浦和という地名が北海道にもある、というだけの記事なんですが、実際にその土地に立ったことは個人的には想い出深い経験でした。それ以上は特に膨らむような内容ではないのだけど、この先の飲み会ネタとしては使えるのかなと思っています。



(190)『婚姻届を出してきた(さいたま市で)』2022年3月8日
今まで個人のことに付いては書かないで来たけど、ここに来て放出することにしました。記事は2022年ですが、提出をしたのは2015年ですので、7年も温めていたことになります。・・・と思ったら、今回これまでの記事を振り返っていたら、2016年3月の100本目で「さいたま市夫婦誕生!」というタイトルで全く同じことを記事にしていたという衝撃。完全に失念していました。そして区役所に提出する前に「記念」としてコピーした婚姻届も今は行方知らず・・・。



(195)『2歳の娘とさいたま市で過ごした1年間について』2022年3月12日
どこからともなくこの世に降臨してきた娘と、さいたま市で過ごした日々を0歳から2歳まで記事にしました。彼女との日々は僕が幼少期にさいたま市で過ごして来た記憶を振り返らせてくれます。これからもさいたま市で成長して行く彼女と一緒に過ごす日々を楽しみにしたいと思います。・・・ということを2008年にブログを開始した学生時代の自分に言ったら驚くだろうなぁ。人生は不思議です。目的としてはさいたま市のPRだけど、個人的にも良い記録となった活動でした。

以上、過去記事の151~198本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。



さいたま市の背中(198)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(101~150号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(105)『早朝からラーメンが食べたい!(ラーメン凪 大宮東口店)』2016年8月5日
伝説の大人気シリーズ、と僕が勝手に解釈してライフワークにした企画の記念すべき第1弾。この企画は第5弾まで続きました。そしてここで紹介した全てのラーメン屋はコロナ過の荒波に揉まれつつも、本日現在全て営業継続しています。しかも大人気。朝ラーメンよ、永遠に!



番外編『盆栽に魅了されたタイ人による、タイでの盆栽ビジネスについて』2017年4月28日
さいたま市は盆栽の町としても知られています。僕自身はタイへの渡航が多いのですが、「タイでも盆栽を愛でる人がいるのかな」という素朴な疑問を持ち、バンコクに滞在をしている時に盆栽ビジネスをしているタイ人をネットで探し、現地でインタビューをさせて頂きました。インタビューを通して盆栽の奥深さや海外からの視点を学ぶことができて、僕自身が良い勉強になりました。これは普段のおふざけブログ記事ではなく物凄く真面目な記事なので、「さいたま市の背中」のナンバリングからは除外をしました。



(122)『東京オリンピックのボランティアに応募するか迷っています』2018年9月29日
今となっては懐かしすぎる悩みですね。結局僕はコロナウイルスの有無には関係なく応募をしませんでした。理由としては妻の妊娠が発覚したこと。そんな状態ではボランティアで家は空けられませんからね。で、その後にコロナウイルスが世に広まり、開催延長だ何だという流れになったのは皆様ご存じの通り。応募をしていたらどうなっていたのかは分かりませんが、いずれにしても開催に尽力した大会関係者やボランティアの方たちの活躍には拍手を送りたいです。



(129)『さいたま市民がさいたま市内のビジホに泊まってみた話』2019年2月23日
旅が多い僕でも地元では外泊をしたことが無い。だから地元のビジネスホテルに泊まってみよう。・・・と記事内では色々と理由を付けていますが、端的に言えば妻と口論の末の家出でした。しかし昔から知っている近所のホテルに泊まるという貴重な経験はリフレッシュになり、その後の夫婦の絆を深める契機になった、かどうかは分かりませんが今は円満です。このシリーズは第2弾まで続きましたが、その時は別に喧嘩ではなく堂々と泊まってきました。



(146)『さいたま市健康マイレージを活用して歩きまくれ!』2020年10月31日
歩くのが大好きな僕が、さいたま市が提供している「健康マイレージアプリ」で健康になって、ポイントも貯めて景品も貰ってしまおう、という誰かに頼まれた訳ではないけど宣伝のような内容になった記事です。宣伝効果があったのか、市や観光協会を経由して大手新聞社から取材依頼が舞い込み、紙面の端っこに実名でコメントが載ったという貴重な経験をしました。


以上、過去記事の101~150本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。

さいたま市の背中(197)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(51~100号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。


(52)『さいたま市民観光サポーター Returns』2011年6月26日
「さいたま市民観光サポーター」としてブログに投稿する条件の一つが「毎月1回以上投稿」というものでした。それにも係わらず、一度だけ半年近く更新しなかった時期があります。何をしていたかというと、転職で茨城県に人生初の市外転居をしました。当時は人生に色々悩んでいて、故郷を捨ててしまいたい衝動に駆られていました。当然そうなったらブログも更新できず自然消滅も止む無し考えていました。しかし自分の実力不足からその職場を短期で退職し、再びさいたま市に戻ってきました。そのタイミングで再びまたブログを再開し今に至る、というストーリーになります。我ながらもがき苦しんでいた20代だったなぁと想い出します。


(66)『祝W杯出場決定:その時さいたま市は!?』2013年7月7日
僕がこのブログをやっていることを知っている人は身近には殆どいないのですが、そんな数少ない顔見知りからの評判が良かったのがこの記事。「サッカーのまち」さいたま市民としてW杯出場を祝う記事を書くのが王道なのでしょうが、サッカーに大して興味の無い僕はそれを見つめる人たちを背後から観察してみました。警備中の警察官ですら居酒屋のパブリックビューイングに見入るくらい世の中が盛り上がっていた平和な光景が印象的でした。DJポリスとか懐かしいですね。


(69)『スカイツリーからさいたま市は見えるか』2013年12月23日
市内ネタばかりだとマンネリ化してしまうので、初めてさいたま市外を絡めた記事を投稿しました。特に担当者からは止められなかったので、旅の多い僕はこの辺から題材を拡大させて行きました。結果的にスカイツリーからさいたま市は(この時は)見えなかったというオチにはなりましたが。さいたま市がスカイツリーの招致を行っていたということを知っている人は今や少数でしょう。



(86)『けやきひろばビール祭り!』2015年5月18日
コロナ過で世界が一変してしまった中で、「けやきひろばビール祭り」は夢のような空間・時間だったと記憶に刻まれています。多くの来場客が三密の環境下でビールを楽しむ場は最早実現不可能なのだろうか。あぁ恋しい。



(88)『海を越えたさいたま銘菓』2015年6月14日
僕は公私で頻繁に国内各地を移動していることは折に触れて言及してきました。コロナ過前は海外渡航の機会も多々あり、渡航先からもブログを更新していました。この時はシカゴに向かう機内の中で、さいたま市銘菓である片岡食品のせんべいを食べたってだけのネタです。市外に出たからこそ、さいたま市を想う気持ちを強めるキッカケにもなります。それを文章化させてくれたこのブログは自分自身の為にもなりました。


以上、過去記事の51~100本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。

さいたま市の背中(196)『過去記事から特選した記事を5つ紹介します(1~50号)』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

投稿数200号という節目を前に、これまでの投稿してきた記事の中から、僕が選んだ特選記事を5つずつピックアップしてみたいと思います。僕自身が想い出深かった記事をピックアップしていますので、面白そうと思ったものがあれば是非読んで頂けると幸いです。なお、初期の記事は過去のシステム移行時に記事内の画像が削除されてしまっているのでご了承ください。


(1)『はじめまして!』2008年1月30日
記念すべき1本目の記事は2008年1月。当時の僕は大学院修了を控え、その時期にも就職先が決まっていないというヤバイ状況でした。「もぎたてさいたま情報ブログ」を開始した理由は、当時やっていた個人ブログ(現在は閉鎖状態)に読者を誘導しつつ、地元ネタを文章化したいという目的で、たまたま検索して見つけたさいたま観光コンベンションビューロー(現さいたま観光国際協会)のページに行き当たり応募をしました。応募当時の記録は残っていませんが、特に面談みたいなものは無く簡単なガイドラインみたいなものを貰って活動を開始した、という記憶があります。改めて記事を読み返してみると、当時は6人も先輩投稿者がいたようですが、最後まで残ったのは僕だけのようです。また文末で、「遅れを取り戻すべく、投稿数1位を目指します」と宣言していましたが、それは実現できたような気がします。自分で自分を褒めたいです。


(8) 『真夜中の別所沼公園と恋の想い出』2008年5月31日
このブログで何度も取り上げている別所沼公園と、失恋をした時のことを私小説風に綴ってみました。細かい経緯は省略しますが、あれから色々な紆余曲折七転八倒がありまして、結論から申し上げますと、ここに登場している女性が今の妻となっています。そして14年後はその公園を娘と訪れているのだから人生の巡り合わせは不思議です。


(31)『さらば!さいたま市(南区ver.)』2009年9月22日
実家を出て上京なりして一人暮らしを始める、そんな旅立ちの日は想い出深いものです。僕の場合は旅立ちとは名ばかりで実際は勘当同然で南区の実家を追い出され、探し抜いた場所が自転車で約10分離れた桜区でした。もしこの時に全く違う市外の土地に行っていたら、良くも悪くも僕の人生はまた別のものになっていたと思います。そしてこの時から13年後に再び南区に新しい家族と共に戻ってきました。自分事ながら成長して戻って来られたなという実感があります。

(41)『珍名シリーズ①鹿と手袋の町』2010年2月14日
日本各地には多くの珍しい地名がありますが、さいたま市にも少なからずあります。それを一つずつ取り上げて、実際にその場所に行って色々と観察をしてみよう、という企画でした。初回の「鹿手袋」は僕が育った町です。その後も候補地名は複数あったのですが、記事化は実現しませんでした。しかしながら、これを発展化させ、12年後の2022年に投稿した記事、(178)『さいたま市の難読地名をあなたは読めるか』に繋げました。




(49)『誰も知らない、らーめんハウス味好』2010年10月9日
僕の記事では飲食店を取り上げることも多かったのですが、14年もやっていると今日までに閉店してしまった飲食店も多くあります。その中の一つ、JR武蔵野線西浦和駅前にあった「らーめんハウス味好」を取り上げた記事です。こちらもいつしか閉店をしてしまい想い出の味が消えてしまったのは凄く残念ですが、こうして記事を振り返ることによって当時の記憶を呼び戻すことができます。今では日本全国にお気に入りの飲食店がありますが、ここが全ての始まりだったような気がします。



以上、過去記事の1~50本目の中から、僕が選出した特選記事でした。お楽しみ頂ける記事があれば幸いです。ご精読ありがとうございました。

おしまい。

さいたま市の背中(195)『2歳の娘とさいたま市で過ごした1年間について』

どーも、さいたま市民観光サポーターまつです。

前回は1歳の娘とさいたま市で過ごした1年間を記事にしました。
(194)『1歳の娘とさいたま市で過ごした1年間について』

そんな娘が早くも2歳になりました。今回は2歳の娘とさいたま市で過ごした1年間を記事にしたいと思います。



2歳の誕生日は南区の有名店のケーキで祝いました。毎日多くのお客さんで賑わっています。ケーキの画像は撮っていなかったので店頭の看板を(参考リンク:パティスリーアプラノス)。



2歳になった娘は無事に保育園デビューを果たしました。さいたま市は2020年の待機児童数が日本全国ワースト1という汚名を背負った中での「保活」でした。育休中の妻は30以上の保育園に見学に行き、応募結果は第20位の保育園に当選という、難関校並みの試練を突破しました末での入園です。

そんな2歳の1年間を振り返ると、離乳食を卒業し、大人と同じ物を食べられるようになった事で、依然コロナ過ではありましたが外出の範囲が増えました。



我が人生でお子様ランチを注文する日が来るとは思いませんでした。ただし、まだ2歳と小さいので完食まで至らぬことも多く、その後は食費節約の観点からも「親の食事をシェアする」という方法を取りました。ちなみに画像はロイヤルホテルさいたま新都心店のお子様ランチ。

2歳の1年間は行動範囲が一気に広がりました。写真を振り返ってみると、さいたま市外の写真が多くありました。



特に飛行機好きの僕としては、「2歳までは運賃が無料」というタイムリミットを意識して日本全国を飛び回りました。上は画像は高松市。

もちろん、引き続きさいたま市内の探検も行っていました。



多くの子供に共通して?我が娘も鉄道好きになりました。コロナ過の鉄道博物館は事前チケット購入に移行しました。我々が行った時は開館する朝10時から楽しみました。娘が気に入った電車に居付いてしまったので引き離すのが大変だったことを思い出します(参考リンク:鉄道博物館)。



別所沼公園は自転車の距離なので気が向いたら行っていました。やはり小さい子供は大きな公園に行くとテンションが上がりますね(参考リンク:別所沼公園)。



独身時代に一人で行っていた、けやき広場(さいたま新都心)のイルミネーションは子供と行くようになりました。これは最早デートだ。ちなみにこの記事の中での「お子様ランチ」を除いて全て父子との行動です。インドア派の妻が加わると、買い物とか近所のファミレスとか、日常の範囲での外出が多かったですね(参考リンク:けやき広場イルミネーション)。



先日記事にした南与野のブルーシールのアイスは娘との行き付けになりました。こちらも親子でシェアをしていますが大半は娘に強奪されます(参考リンク:ブルーシール南与野店)。

「子供は3歳までに一生分の恩返しをする」と言われるけど、まさにその通りだなぁと思います。0歳も1歳もその歳なりの可愛さがありますが、2歳の時が一番楽しく、可愛かったかなぁ。会話も少しずつ出来るようになったし。3歳になっても同じことを言ってるかも知れませんが。

そんなわけで2歳の娘と過ごした1年間を振り返ってみました。今後とも温かく見守ってくださいますようお願い申し上げます。なおリアルタイムでは来月に3歳になりますので、このシリーズは今回でおしまいです。私事の記事にはなりますがお付き合い頂きありがとうございました。少しでもさいたま市での育児にイメージを持ってもらえたなら幸いです。

おしまい。

(参考リンク)
さいたま子育てWEB