今回のさいたま歩きは、武蔵一宮氷川神社と大宮公園。
さいたま新都心駅をスタートし、およそ2kmの並木がつづく氷川参道を歩き、2000年以上の歴史をもつといわれる武蔵一宮氷川神社へと向かいます。
参道は、都市化により開発が続く市街地でも緑が多く残る貴重な空間となっています。参拝者のみならず、市民の憩いの場として親しまれています。
武蔵一宮氷川神社は、「大いなる宮居」と称され、「大宮」という地名の由来にもなった日本でも指折りの古社です。
参拝後は、隣接する大宮公園へ。
大宮公園は1885年(明治18年)に開園した埼玉県初の県営公園です。公園の歴史にも触れつつ、園内を散策します。
このコースの特徴は、市街地にありながら、多様な植物と歴史文化を楽しめるコースとなっています。
さいたま新都心駅の東口を出て、北へ向かいます。見えてくるのは「武蔵國一宮」と大きく刻まれた石碑と「一の鳥居」。
武蔵一宮氷川神社へとつづく参道の入り口です。正式にお参りするときには、この一の鳥居から入り、昔の尺度で十八丁(約2km)の道のりを歩きます。
木々に囲まれた参道の途中には、大宮区役所や飲食店なども。参道の一部を整備してつくられた平成ひろばは、市民の憩いの場として親しまれています。
氷川参道には、3基の大鳥居があり、神社に遠い順に「一の鳥居」、「二の鳥居」、「三の鳥居」と呼ばれています。
正式にお参りする時は、一の鳥居から歩きます。
毎年8月1日に行われる氷川神社の例大祭では、今でも皇室から勅使が派遣されており、「一の鳥居」から参道を通ってご参向されています。
かつては、参道を歩く人々が距離を知るために一の鳥居から一丁(約109m)ごとに丁石が建てられていました。
氷川参道は十八丁(約2km)で、当時のもので残っているのは二丁、六丁、九丁、拾丁、十六丁の5基で、現在はいずれも神社や市立博物館で保管されています。今ある18基の丁石は復興建立されたものです。
直線約2㎞の長さを誇る氷川参道は、昭和初期には鬱蒼とした杉並木で覆われていてたそうです。
現在は、ケヤキ、シイ、エノキ、スギなど20余種の樹木が600本以上植えられています。
都心部にありながら、自然豊かな参道は、初夏には新緑、秋には紅葉など季節によって様々な景色が楽しめます。
氷川参道の一部を整備した公園で、平成元年に完成し、「平成ひろば」と名づけられました。
通りの両側にケヤキやサクラなどが植えられ、その木々の間を散策できるようになっています。
歩道は石畳で整備され、岩を組み合わせてつくったせせらぎもあり、市民の憩いの場として親しまれています。
高さ約13mを誇る「二の鳥居」と大きな狛犬が参拝者を出迎えます。美しい朱色の鳥居をくぐるとその先も参道は続きます。
途中、一対の石燈籠や氷川神社行幸絵巻のパネルなど神社の歴史や格式をうかがえる箇所も見逃せません。
また、暗くなると点灯する灯籠も趣があります。
そして、氷川参道最後の大鳥居「三の鳥居」をくぐれば境内、本殿へと続きます。
二の鳥居は明治神宮より1976年(昭和51年)に寄贈移築されたもので、高さ約13m、現存する木造の鳥居では、日本有数の大きさを誇ります。
狛犬は、二の鳥居前に、2018年に武蔵野銀行が奉納したもので、台座も含めた高さはそれぞれ約3メートルです。
参拝者を出迎える参道の新しいシンボルとなりました。
一対の石燈籠は、かつて「二の鳥居」があった場所で、ここからが境内とされていたそうです。
左右の石燈籠にはそれぞれ異なる年代が刻まれておりますが、神社に向かって左側の石燈籠には文化十四年とあります。
1817年に奉献されたものということからも神社の歴史がうかがえます。
1868年(明治元年)、明治天皇が武蔵一宮氷川神社に行幸された時の様子を描いた絵巻を模したパネルです。
天皇の乗った鳳輦を中心にお供の人々、鉄砲隊、鼓笛隊など総勢540名に及ぶ壮大な行列が描かれています。
この行幸の行列は、下木崎村(現浦和区)出身の山田衛居によって描かれ、「氷川神社行幸絵巻」として現在に伝わっています。
三の鳥居は、片倉製糸紡績株式会社が1934年(昭和9年)に奉献し、平成18年に修理された歴史があります。
鳥居には、片倉製糸社長の「今井五介」の名が刻まれており、五介の次男にあたる「今井五六」は初代大宮市長を務めた方です。
かつて、さいたま市域には、片倉大宮製糸所をはじめ、製糸工場がいくつもあり、「製糸のまち」でもありました。
片倉大宮製糸所の跡地は、現在コクーンシティというショッピングモールとなっており、デザインの一部にはまゆの形がモチーフにされているなど、歴史を反映しています。
およそ2kmの参道を抜け、三の鳥居をくぐると鎮守の杜に囲まれた武蔵一宮氷川神社の境内です。
2000年以上の歴史をもつといわれる日本でも指折りの由緒ある神社は、大いなる宮居として「大宮」の地名の由来にもなりました。
御祭神は神話でもその名をよく知られる須佐之男命とその妻、稲田姫命、大国主命としても知られる大己貴命の3柱。
埼玉県のほか東京・神奈川に約280社ある氷川神社の総本社でもあります。
広い境内をじっくりと回ってみると、美しい朱塗りの楼門やカラフルなふくろ絵馬、神池や蛇の池など水にまつわる神秘的なスポットがあります。
境内にいくつかある池の中で最も大きな神池は、もとは見沼とよばれるあたり一面に広がっていた湖沼から湾入した入江だったといわれています。
かつての見沼の姿を今にとどめる神池には、神橋とよばれる橋がかかっていて、趣ある風景は参拝者に人気の撮影スポットでもあります。
神橋を渡るとさいたま市のシンボル的な建造物でもある楼門がそびえ立っています。
お参りをしたら、ぜひ御朱印もいただきたいところです。
氷川神社の御朱印はシンプルで力強く、オリジナルの御朱印帳も人気です。
絵馬掛けにたくさんぶら下がっているカラフルな袋は、「ふくろ絵馬」。願い事を書いた絵馬を袋に入れて奉納します。
願いは十人十色であることから袋の色は全部で十色あるそうです。
神社の地下からくみ上げた御神水は、持ち帰ることもできます。
煮沸して飲料水として使う方も多いそうです。
氷川神社の御祭神、須佐之男命が八岐大蛇を退治した伝承に由来し、蛇の池と呼ばれています。
蛇の池は、境内の神池やその先に広がる見沼の水源のひとつで、現在でも水が湧き出ており、氷川神社発祥の地といわれています。
お参りのあとは、神社に隣接する大宮公園へ向かいます。
1885年(明治18年)に氷川公園として開園した大宮公園は、松林や雑木林に覆われた風情ある景色が広がっていたといわれています。
園内に料亭や旅館が立ち並ぶようになると東京の奥座敷的な感を呈し、文人たちもこぞって来遊しました。
現在のような公園の姿は、1921年(大正10年)に作成された本多静六博士らによる改良計画によるものです。
市民の憩いの場として親しまれる大宮公園の歴史に触れながら園内を散策してみます。
大宮公園は1885年(明治18年)に開園した、埼玉県最初の県営公園です。もとは氷川神社の奥山といわれる場所でした。
氷川公園として開園した当初は松林や雑木林などが広がる素朴な風情で、やがて割烹旅館が立ち並ぶ景勝地となると、森鴎外や正岡子規、夏目漱石のような文人も訪れていました。
1898年(明治31年)に県立公園となり、その後、1921年(大正10年)に、本多静六博士らによって改良計画が立案され、整備が進められました。
開園以来、時代に応じて整備が続けられ、現在では樹齢百年を超える赤松がそびえる赤松林や、「日本さくら名所100選」にも選出された桜をはじめ、新緑や紅葉が美しい樹木がたくさんあり、四季折々の変化が楽しめるほか、スポーツ施設、小動物園、児童遊園地などもあり、埼玉県で最も利用の多い県営公園として親しまれています。
NACK5スタジアム大宮は日本初のサッカー専用グラウンドで、大宮アルディージャのホームスタジアムです。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックではサッカー競技の会場として使用されました。
また、1979年のワールドユースで、ディエゴ・マラドーナ選手が国際大会デビューした場所でもあります。
歴史と伝統のあるサッカーの聖地として知られています。
木製の門をくぐるとそこは日本庭園です。
この日本庭園は、明治期から昭和初期まで営業していた料亭「石州楼」の跡地に開園しました。
庭園内にあるツバキは料亭の庭にあった大唐子という品種で当時のままの姿で保存されているそうです。
埼玉県久喜市生まれ。日本初の林学博士で、日比谷公園や明治神宮の森など、全国各地の公園設計に携わり日本の公園の父といわれています。
大宮公園も本多博士が手がけた公園のひとつで、1921年(大正10年)に同僚の田村剛博士と「氷川公園改良計画案」を立案しました。
園内の散策をつづけるとレトロな雰囲気が漂う児童遊園地や無料で楽しめる小動物園が、親子連れで賑わっています。
小動物園を後にして、奥へ進むと「さくら名所100選の地」の石碑があり、桜の木が一帯に広がっています。
さらに先には、ボート池や埼玉百年の森があり、ゆっくりと散策を楽しめます。
百年の森を抜けると埼玉県立歴史と民俗の博物館。埼玉の歴史・民俗・美術を総合的にあつかう博物館です。
親子連れで賑わうレトロな雰囲気の児童遊園地。
シンボルの飛行塔は1950年(昭和25年)にスポーツランドが開設されたのを期に設置されたそうです。
当時はまだ飛行塔は珍しく、遠足で学校の校外教育にも活用されていたとか。
また、明治期から大正初期の頃まで、遊園地から小動物園の一帯には、帝大生時代の正岡子規や夏目漱石も訪れた高級料亭「万松樓」がありました。
小動物園の入園料は無料で、サルやキツネなどの小動物のほか、ツキノワグマやハイエナなどもいます。
また、大型のフライングゲージがあり、フラミンゴなどの鳥も間近で見ることができます。
埼玉県誕生100年を記念して整備された、埼玉百年の森の中に残されているのは、1967年(昭和42年)まであった遊園地ホテルの門柱です。遊園地ホテルは西洋風の建物でした。
ホテルでは、渋沢栄一らが講演を行ったこともあるそうです。
ひっそりとたたずみ、かつてのホテルの面影を今に伝えます。
県立歴史と民俗の博物館は、埼玉の歴史・民俗・美術を過去から未来へ継承する博物館です。
常設展示は「埼玉における人々のくらしと文化」がテーマです。
また、年に3〜4回特別展や企画展が開催されるほか「ゆめ・体験ひろば」ではこどもから大人まで楽しめる多彩な体験メニューを展開しています。