Let's walk シェアサイクルでめぐるさいたま市 東エリア
Part1
 

特別編

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今回のさいたま歩き特別編では、電動アシスト自転車でさいたま市の東エリア(岩槻区)を巡ります。Part1では東エリアの北側を、続くPart2では東エリアの南側を移動します。
岩槻エリアは、城下町だったこともあり、古くからの歴史を感じる場所。以前歩いた「城下町岩槻コース」は主に岩槻駅周辺のスポットでしたが、今回の特別編は自転車でより広範囲に渡り、代々続くお店や、歴史ある神社仏閣を訪ね、お話を伺いながら街歩きします。
外から見るだけではわからないエピソードや、昔と今の変化など、見どころ聞きどころが満載です。

岩槻駅〜岩槻大師

東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅の西口を出て、岩槻城址公園まで自転車を走らせます。
途中にある広い日本庭園のある懐石料理店の桜茶屋で女将にお話を伺ったり、レストラン大手門でご当地グルメのラーメンを食べたり、岩槻大師でお砂踏み遍路をしたりとバラエティーに富んだ回となりました。

  • 岩槻城跡
  • 自然に触れる
  • お砂踏み遍路
岩槻駅

東武アーバンパークライン(野田線)の駅で、2016年5月に新駅舎が完成しました。城下町岩槻にふさわしい白壁と瓦調の屋根となっています。昭和4年に「岩槻町駅」として開設、昭和14年から「岩槻」の駅名になりました。
駅名の「岩槻」は古くは「岩付」や「岩築」の文字が用いられ、「岩槻」となったのは江戸時代の18世紀後半からだそうです。
岩槻駅東西自由通路内には岩槻観光案内所があります。

JR中浦和駅
桜茶屋

桜茶屋は四季折々の懐石料理を、伝統的な書院造の個室でいただけるお店です。お部屋からは、すべて手作りという600坪の敷地にあるお庭の四季折々の木々や草花も楽しめます。京都を思わせる緑の絨毯のような苔庭の佇まいです。
動画ではお庭を見ながら女将からお話を伺いました。水琴窟すいきんくつの音色にもぜひ耳を澄ませてみてくださいね。

桜茶屋
岩槻城址公園

岩槻城址公園は県指定史跡の岩槻城跡を活かしてつくられた公園で、中世の面影を残しています。岩槻城城門(黒門)は、明治維新後、県庁の表門などとして使用するために浦和に移され、昭和45年(1970年)に園内に移築されました。曲輪の空堀が今でも残り、遊歩道として歩けるようにもなっています。
約600本の桜が咲く県内有数の桜の名所としても有名で、菖蒲池の朱塗りの八ツ橋をバックに桜が映えて、来遊者の目を楽しませてくれます。
園内には、鉄道好きの子供に人気のロマンスカーきぬ号が展示されている他、テニスコート、野球場、遊具のあるわんぱく広場などがあり、幅広い世代に親しまれています。
また、四季を通じて数々の催し物が開催されます。春の季節には、桜まつり流しびな、秋には人形塚で人形供養祭が行なわれます。

岩槻城址公園
レストラン大手門

レストラン大手門は岩槻城址公園の一角にある、さいたま市民会館いわつき内のレストラン。
挽肉の餡かけがのった豆腐ラーメンが名物です。豆腐ラーメンはさいたま市のご当地グルメ。埼玉県B級グルメ王で2度の優勝経験があります!どちらかというと「さっぱり」とした味のラーメンです。公園で楽しんだ後、お昼に寄ってみるといいですね。

レストラン大手門
岩槻大師

岩槻大師は奈良時代末期に開かれた真言宗智山派の寺院で、号は弥勒密寺。本尊は不動明王。
地下仏殿には四国八十八カ所から勧請したご本尊とお大師様があり、各霊場寺院から請来したお砂を奉安していて、「お砂踏み遍路」ができます。お砂を踏みながら礼拝すると、四国八十八カ所お遍路をしたことと同じ功徳をいただけると考えられてきました。
境内には、人形のまち岩槻らしく「子育て人形大師」の像もあります。
また、関東三十六不動霊場の第三十一番札所に選ばれています。

岩槻大師

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大光寺〜久伊豆神社

歴史ロマンを感じる大光寺を皮切りに、まちなかにあっても静謐さが漂う久伊豆神社まで移動します。途中、カステラと洋菓子のお店にも伺いしました。久伊豆神社では宮司に神社の由来や「黒奴」についてお話を伺います。神社のシンボルである孔雀も必見。

  • 歴史ロマンに触れる
  • 地元の人気店
大光寺

大光寺は、真言宗智山派の寺院で、1447年(室町時代)に創建されたと言われ、境内にはボダイジュやムクノキなどの巨木が生い茂ります。本尊は阿弥陀如来。
12年に一度、午年に開帳される十一面観音像は、源義経と武蔵坊弁慶が奥州に下向するとき置いていったと伝えられています。
門前の香取神社には文明6年(1474年)銘の鰐口わにぐちが残っています。渋江鋳物師いもじが造ったとされ、市指定文化財になっていますおり、現在はさいたま市立博物館に寄託されています。中世の岩槻周辺は渋江郷といい、そこで集団で活動した鋳物師は渋江鋳物師と呼ばれていました。

大光寺
カステラぶん

カステラ文は、さいたま推奨土産品の自家製カステラを扱うお店です。
食品添加物を使用しておらず、飽きのこないふんわりとした優しい味が人気の秘密。お店の看板は、東武アーバンパークライン(野田線)の電車からも見えます。

カステラ文
洋菓子コスモス本店

洋菓子の森コスモスは、地元の食材などを使ったケーキ屋さん。岩槻区に2店舗あって今回は本店を訪れました。数々のケーキのほか、岩槻の名前の入ったお菓子も販売しています。

洋菓子コスモス本店
東宮とうぐう歩道橋

元荒川にかかっている歩道橋で、「人形のまち いわつき」と大きく書かれています。
同じく、元荒川にかかっている東武アーバンパークライン(野田線)の鉄橋に近いので、歩道橋からトレインビューが楽しめるほか、動画にあるように歩道橋側の荒川土手からは、歩道橋とセットでトレインビューが楽しめます。

東宮歩道橋
久伊豆神社

久伊豆神社祭神は大己貴命おおなむちのみことで、岩槻の総鎮守として祀られた由緒ある神社。6世紀半ばに土師はじ氏が、東国に移住する際に出雲の国から勧請したのがはじまりとされています。
昭和13年(1938年)に朝香宮殿下からいただいた孔雀の末裔を飼育しており、孔雀が神社のシンボルとなっています。毎月9日に発売される孔雀の限定御朱印が人気で四季折々違ったデザインが楽しめます。
境内の入り口からの長い参道は椎の木などによって緑のトンネルになっています。1万坪もの境内には緑豊かな杜が広がり、静寂な雰囲気が漂います。
10月19日の秋季例大祭には、江戸時代から日本三奴の一つと言われている「岩槻黒奴」が境内を練り歩きます。黒奴とは、街の若い衆が黒半纏を来て御輿などの先頭に立ち、独特な歩調と掛け声で身を振り練り歩く奴さんのことです。戦後、長い間取りやめになっていましたが、伝統文化の蘇りを望む多くの人々の熱意で、平成20年(2008年)に「岩槻黒奴保存会」が発足し復活。神事やイベント等で奴振りが奉納、披露されています。

久伊豆神社

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龍門寺〜京料理ほそい

大岡忠光公のお墓のある龍門寺では、大岡家代々のエピソードに触れながら江戸中期の歴史を思い、京料理ほそいでは庭を散策しながら季節の移り変わりを思う。違う季節に再訪したくなる旅となりました。

  • 岩槻藩主大岡忠光
  • 文化を感じる
  • 自然に触れる
龍門寺

岩槻区の南北を走る日光御成道から龍門寺へ。龍門寺は曹洞宗の寺院で号は玉峯山。本尊は釈迦如来です。長い参道を進むと、江戸初期前半の様式の山門が見えてきます。山門は市の指定有形文化財となっています。
境内には9代将軍家重の側用人で岩槻藩主だった大岡忠光の墓があります。元荒川側の龍門寺の美しさに惹かれ、ここを菩提所として定めたそう。墓石の正面は日光御成道に向いており、日光東照宮に向かう将軍たちの通行を見守るためと伝えられています。
本堂には手なし不動と呼ばれる不動明王像があります。言い伝えでは、悪戯好きの不動様が夜な夜な大入道となって日光御成道を行き来する人を驚かせていたため、武士に手を切り落とされてしまい、以来動かなくなった両腕はかすがいで止められているんだそう。
大岡氏から寄進されたと伝えられる鎌倉時代の刀工、助真すけざねの作品であると伝わる名刀があり、国指定の重要文化財として現在は埼玉県立歴史と民俗の博物館に寄託されています。

龍門寺
京料理ほそい

京料理ほそいは、四季折々の京料理が味わえるお店。
庭にある小道を通ってお店の周りを一周でき、桜の木や紅葉なども楽しめます。

京料理ほそい

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仁屋〜諏訪神社

今回の特別編で、もっとも北にあるお店である仁屋から南下し、東岩槻周辺をめぐります。
慈恩寺は「西遊記」に登場する三蔵法師玄奘げんじょう縁のスポット。
住職からお話を伺い、お寺を案内していただきます。最後は、高台にある諏訪神社でPart1を締めくくります。

  • いちご狩り
  • 玄奘三蔵
  • 高台からの景色
仁屋

仁屋は県道沿いにあるそばと天ぷらのお店。
広々とした駐車場と送迎バスもあり、最大160名までの宴会も可能です。

仁屋
深井農園

深井農園ではいちご狩りが人気で、紅ほっぺなど王道の品種の他、数種類が食べ比べできます。イチゴは、可動式の高設栽培のため腰を屈めなくてもイチゴの実が摘め、ベビーカーや車椅子の方でも楽に大粒のイチゴが摘み取れます。
シーズン以外では、自分で収穫して食べる食育体験など、様々な企画も行われています。

深井農園
慈恩寺じおんじ

慈恩寺は天長元年(824年)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹で、坂東三十三ヶ所観音霊場の十二番札所。
本尊の千手観音像は、午年ごとにご開帳となります。
慈恩寺は、慈覚大師が学んだ唐の長安(現西安)にある大慈恩寺に風景が似ているとの理由で名付けられたと言われています。
江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領していたこともあり、盛時には13万5千坪の境内と、塔中66ケ坊を有する大寺でした。
境内には天正17年(1589)に岩槻城主北条氏房うじふさの家臣、伊達与兵衛により寄進された南蛮鉄灯籠(市指定文化財)や、西遊記で名高い三蔵法師玄奘の霊骨も奉安されています。
住職からはお寺の名前の由来や三蔵法師玄奘げんじょうについてのお話を伺い、お寺を案内していただきます。

慈恩寺
玄奘塔げんじょうとう

玄奘塔は十三重の花崗岩の石組みによる十三重霊骨塔で、中国の古典『西遊記』でおなじみの三蔵法師玄奘の遺骨が分骨され、安置されています。
飛地になっていますが、ここも慈恩寺の境内です。
昭和17年(1942)南京において法師の遺骨が発見され、昭和19年(1944)南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されました。当初、芝増上寺に安置されましたが、東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺や奈良の薬師寺へも分骨されています。
5月5日のこどもの日には「玄奘祭」が行われ、孫悟空に扮した子供たちが慈恩寺から玄奘塔までの約1kmを練り歩きます。

玄奘塔
諏訪神社

岩槻諏訪公園に隣接する神社で、別名は表慈恩寺諏訪神社。祭神は御穂須々美尊みほすすみのみこと
かつては慈恩寺台地の舌状部に位置していましたが、周辺の開発によって神社部分だけが小高い山のようになり、周囲が見渡せます。天気がいい日は富士山も見えるそうですよ。

諏訪神社

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