Let's walk 見沼の自然と竜伝説コース

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今回のさいたま歩きは、緑豊かな見沼田んぼ。この地域に古くから伝わる竜伝説にまつわるスポットを巡ります。

最初の目的地は、見沼の歴史を感じる氷川女體神社。参拝後は、古くから神社で行われていた神事を今に伝える「磐船祭祭祀遺跡」と併設された見沼氷川公園を散策します。見沼代用水西縁沿いの桜回廊を歩き、さいたま新都心まで見通すことができる見沼大橋を渡って芝川を超え、見沼代用水東縁にある国生寺や総持院まで歩きます。

見沼の自然と歴史を肌で感じることのできるコースです。

最寄りのバス停をスタートし、武蔵国有数の古社、氷川女體神社へ向かいます。
見沼代用水に架かる朱塗りの橋を渡り、高台にある境内へつづく階段を登ります。
神社周辺を囲うように植物が茂る鎮守の森は市指定の天然記念物です。
緑に囲まれた境内には神秘的な雰囲気が漂います。
見沼と深い関わりをもつ氷川女體神社では古くから見沼を舞台に神事が行われていました。
参拝後は、その歴史を今に伝える「磐船祭祭祀遺跡」へ向かいます。

  • みどり豊か
  • マイナスイオンたっぷり
  • 歴史を感じる
氷川女體神社

氷川女體神社は、見沼をのぞむ高台に立つ武蔵国有数の古社です。
クス、モチ、シラカシなどの暖地性植物が繁茂している社叢は市指定の天然記念物です。
また、一般公開はしていませんが、所蔵する文化財が多いことで知られ「埼玉の正倉院」とも呼ばれています。
社宝のひとつ三鱗紋兵庫鎖太刀みつうろこもんひょうごくさりたちと呼ばれる長さ90センチほどの太刀は、鎌倉時代後期の作で、北条氏の奉納と伝えられ、現在は、県指定文化財となっています。 御祭神は稲田姫命いなだひめのみこと三穂津姫命みほつひめのみこと大己貴命おおなむちのみことの3柱。氷川女體神社の「女體」は、御祭神である稲田姫命に由来しているという説もあります。
日本書紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命すさのおのみことがヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされています。
現在の社殿は、1667(寛文7年)徳川幕府四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて建立したものです。
2015年には本殿が修復され、約250年前の姿に甦りました。

御神木

社務所の左手にあるタブノキは、出っ張った部分がクマの顔のように見える名物のご神木です。
鳥居方向からご神木を見てみてください。

巫女人形

天然素材を使って、一体一体手作業で作られた巫女人形。
祈願が成就したら着物を着せてお返しします。
社務所の軒下には、色とりどりの着物をきた人形が並んでいます。

磐船祭祭祀遺跡

かつて沼だった頃の見沼を舞台に氷川女體神社の神事「御船祭みふねまつり」が行われていました。
「御船祭」は2年に一度、神社から沼の一番深いところまで御座船で移動し、神酒を沼の主である竜に献じるというものであったといわれています。
江戸時代、新田開発のために見沼は干拓され、見沼に船を浮かべて行う「御船祭」は中止せざるを得なくなりました。
そこで、神事の形態を改め、鳥居下の突端に柄鏡形の土壇を設け、その周囲に池を配し、祭祀の場としました。
祭場は沼の中から土の上へと移り、名称は「磐船祭いわふねまつり」に変わり、神事は復活しました。
「磐船祭」は江戸時代の終わりとともに廃止となりましたが、祭場の跡はそのままに残されてきました。
見沼と深い関わりを持つ氷川女體神社の祭礼を物語る遺跡として、とても重要なものです。 なお、現在では、この磐船祭と同じく神事である祇園祭、さいたま市の竜神まつりの3つが合わさり、磐船祭の流れを汲む、「祇園磐船龍神祭ぎおんいわふねりゅうじんさい」が毎年5月4日に行われています。

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見沼氷川公園~メタセコイア並木と見沼大橋

磐船祭祭祀遺跡に併設されている見沼氷川公園は、芝生が広がり、案山子かかしの像やハーブ園がある憩いのスポットです。
公園を散策した後は、見沼代用水西縁沿いの桜回廊を歩きます。
春には桜が咲き誇り、桜の下をのんびりと散策することができます。
メタセコイヤ並木の道にぶつかったら、右に曲がり、新都心まで見通すことのできる見沼大橋を渡ります。

  • 自然にふれる
  • 癒される風景
  • 学び・発見
見沼氷川公園

氷川女體神社の向かいにある公園。園内は芝生広場を中心に池やハーブ園などが整備されています。
ハーブ園には、ローズマリーやラベンダーなどのハーブが植えられていて、市民の憩いの空間になっています。
また、この付近が唱歌「案山子」の発祥の地のいわれていることから、園内には記念碑も設置されています。

案山子の記念碑

公園の入り口にたつ案山子のモニュメント。有名な尋常小学唱歌「案山子」を作詞した武笠三むかささんは、氷川女體神社主家の出身です。
♬山田の中の 一本足の案山子
 天気のよいのに 蓑笠着けて
 朝から晩まで ただ立ちどおし
 歩けないのか 山田の案山子
これは「案山子」の一節です。作者が幼少期に見たであろう見沼田んぼと案山子の風景が詩によって伝えられています。

見沼田んぼの桜回廊

総延長20kmを超える、桜の下を散策できる日本一の桜の回廊。さいたま市では、「目指せ日本一!サクラサク見沼田んぼプロジェクト」を発足し、市民・団体・企業などからの寄附により、見沼代用水の西縁と東縁の桜を増やし、日本一の桜回廊づくりを進めてきました。
ベンチや案内板の整備もされているので、桜を愛でながらゆっくり散策することができます。

メタセコイア並木と見沼大橋

緑区には約1キロにわたって続くメタセコイア並木があります。
樹高20kmを超えるメタセコイアの並木路は圧巻で、その様子はまるでヨーロッパの街道のようです。
春から夏にかけては鮮やかな緑の並木が、秋から冬にかけては美しい紅葉を楽しむことができます。
メタセコイアは落葉樹のため、12月を過ぎる頃には落葉します。
メタセコイア並木に挟まれるようにある見沼大橋の上からは、さいたま新都心まで見通すことができます。
見沼田んぼや芝川越しに見えるさいたま新都心のビル群の姿は、都市と自然が調和するさいたま市らしい風景です。

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国昌寺~総持院

芝川を超え、見沼代用水東縁にかかる橋の先にある国昌寺では、開かずの門として有名な山門に注目です。
お寺を後に、見沼代用水東縁沿いを散策していると、こちらを見つめる「龍神マルコ」に出会います。
すぐそばには、見沼田んぼの原風景ともいえる斜面林が保全されています。
保全地を眺めながら、総持院まで歩きます。 

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  • 学び・発見
  • みどり豊か
国昌寺

国昌寺は、戦国期に心巌宗智によって開かれ、二代目住職の能書家として知られた大雲文龍によって再興された曹洞宗の寺です。
江戸時代中期に建立された山門(市指定有形文化財)は「開かずの門」として有名で、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉という伝説があり、門は閉じられ「開かずの門」になったと伝えられています。他にも、門の欄間の龍は日光東照宮の眠猫で有名な左甚五郎作と伝えられ、見沼に棲んでいた龍が作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘づけにして門におさめたという伝説もあります。

見沼龍(マルコ)

見沼代用水東縁沿い、国昌寺と総持院の間付近に現れる葦の龍です。
県内の生物多様性保全活動団体の一つである、NPO法人エコ. エコの活動で作成されました。

緑のトラスト保全第1号地(見沼田圃周辺斜面林)

県内の自然や歴史的環境を後世に残すため、広く寄附を募り末長く保全しようとする活動、「さいたま緑のトラスト運動」によって最初に取得された場所です。
「見沼田圃周辺斜面林」として11,336㎡におよぶ、見沼田んぼの原風景ともいえる景観が保全されています。
現在、見沼代用水のほとんどがコンクリートで作られた水路ですが、この辺りは土のままの素掘りの水路が残されています。
多様な動植物が生息する樹林地内は、自然を維持するために原則立ち入り禁止となっていますが、東屋があるスペースでは、目の前に広がる竹林を鑑賞することができます。

総持院

総持院は1577年(天正5年)に法印良秀によって開かれたと伝えられる真言宗の寺です。
大きな山門(鐘楼門)が特徴です。
別名ボタン寺として知られ、境内には約650株のボタンが植えられ、シーズン中は見事な花園になります。

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