Let's walk 中山道浦和宿コース
 

ガイド会おすすめ

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今回のさいたま歩きは、中山道浦和宿。
地元を知りつくしたさいたま市観光ボランティア・浦和ガイド会おすすめのコースです。
浦和駅をスタートし、浦和宿の歴史を辿りながら、浦和らしいスポットを巡ります。
浦和宿は、江戸時代、東京日本橋から京都三条大橋を結ぶ街道「中山道」の3番目の宿場町として賑わいました。
浦和宿を訪れる旅人に浦和近郊で捕れたうなぎを提供したのが、「浦和のうなぎ」のはじまりといわれています。
明治時代になり、埼玉県が成立すると教育機関が次々と開校され、全国から優秀な学生が集まり、「文教都市」としての地位も確固たるものになっていきました。
古くから人・もの・文化など様々な交流が行われてきた浦和のまち。
今では、サッカーのまちとしても知られています。
宿場町、うなぎのまち、文教都市、そしてサッカーのまちと多彩な魅力をもつ浦和のまちをたっぷり楽しめるコースです。

浦和駅〜浦和うなこちゃん

浦和駅中央改札を出ます。
浦和観光案内所に立ち寄ったあと、URAWA SOCCER STREETを歩きます。
浦和レッズのオフィシャルショップをはじめ、みどころがたくさんあります。
浦和駅西口を出ると「URAWA SOCCER TOWN」の大きなモニュメント。
伊勢丹浦和店前には浦和レッズのレリーフも設置されており、「サッカーのまち浦和」の熱気が伝わってきます。
レリーフの先では、浦和うなこちゃんの石像が訪れる人々を出迎えます。

  • 学び・発見
  • ファミリーにおすすめ
  • 文化にふれる
浦和観光案内所

浦和駅中央改札の正面、アトレ浦和 South Areaのカフェの隣にあるのが浦和観光案内所です。
ここでは、観光案内のほか、観光パンフレットや地図の配布、土産品の販売を行っています。
さいたま市内各地の土産品を取り扱っていますので是非お立ち寄りください。

URAWA SOCCER STREET

浦和駅の東西自由通路と西口中ノ島バスターミナルを結ぶ地下通路。
鮮やかな赤色が印象的なこの通りには、浦和レッズのオフィシャルショップ「レッドボルテージ」や浦和レッズの歴代選手のユニフォーム展示などがあります。
また、「チームラボ」が開発したデジタルインフォメーションウォールも設置されていて、画面に触れることで、楽しくさいたま市や浦和サッカーの歴史について知ることができます。

浦和レッズレリーフ

伊勢丹浦和店の駅前広場側に浦和レッズの選手や監督の足型、タイトル獲得記念のレリーフがあります。
ゴールキーパーは手型です。

浦和うなこちゃん

浦和うなこちゃんは、江戸時代からの伝統の味「浦和のうなぎ」をひろくPRするために誕生しました。
生みの親はアンパンマンの漫画家として知られるやなせたかし氏です。
浦和駅西口で訪れる人々を出迎えているうなこちゃんの石像は、季節やイベントによって持っている「うちわ」が変わります。
ぜひチェックして見てください。

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コルソ通り〜うらわ美術館

サクラソウのモザイク壁画を見て、コルソ通りを抜けると、さくら草通りに出ます。
郵便局や店舗が立ち並び、人々が行き交います。
さくら草通りを進むと中山道にぶつかります。
中山道を歩くと、古くから地元で愛され続けられている書店や歴史ある店舗、美術館など魅力がたくさん見つかります。

  • アート好きにおすすめ
  • 歴史を感じる
  • 学び・発見
モザイク壁画

浦和ゆかりの画家、 高田誠氏の原画によるサクラソウのモザイク壁画。
コルソビルの駅側・中山道側にそれぞれ異なるデザインの壁画があります。
また、原画はうらわ美術館に展示されています。

さくら草通り

コルソビル(西側)から埼玉会館までつづく通り。
県内初の歩行者専用ショッピングモールとして1982年(昭和57年)に完成しました。
浦和ゆかりの彫刻家、細野稔人氏による笛を吹く少女の彫刻「春の譜」が設置されています。
1883年(明治16年)浦和停車場が開設された頃には、駅から中山道をつなぐ「停車場通り」、その後郵便局ができると「郵便局通り」と呼ばれました。

中山道なかせんどう

1604年(慶長9年)、徳川家康が制定した五街道(東海道、中山道、奥州道中、日光道中、甲州道中)の一つで、東京・日本橋から京都・三条大橋を内陸経由で結ぶ街道。

うらわ美術館

うらわ美術館は「地域ゆかりの作家」と「本をめぐるアート」をコレクションの柱に、2000年春に誕生した都市型美術館です。
金曜日と土曜日は夜8時まで開館しているので、お買い物のついでに、気軽にアートの世界を楽しむことができます。
屋外に展示されている赤色の彫刻は、内田晴之氏による「重力環-赤/うらわ」という作品で磁石でバランスを取っています。

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浦和宿本陣跡〜裏門通り

中山道を北方向へ進むと少し奥まったところに、ひっそりと浦和宿の本陣跡があります。
中山道にもどりさらに北へ進むと、この地に古くから市場が立っていたことを伝える二・七の市場跡あとが残されています。
裏手には、現在改修工事が進められている常盤公園があります。
常盤公園の特徴的なレンガ造りの塀を見ながら、南方向へ、裏門通りまで歩きます。

  • 歴史好きにおすすめ
  • 学び・発見
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浦和宿本陣跡

中山道浦和宿の本陣があった場所で、当時は、敷地1200坪、建坪220坪の広さでした。
明治期に取り壊され、現在は一部が仲町公園となっています。
また、表門は、緑区大間木の大熊家に移設され、市指定の有形文化財として現存しています。
本陣とは、大名など身分の高い人々の宿泊所として指定された宿のことです。
この本陣に宿泊した代表的な大名は、加賀百万石の前田家。
また、幕末には、皇女和宮も昼食を取られたそうです。
明治元年と3年に明治天皇が武蔵一宮氷川神社行幸の際に行在所となった記念の石碑があります。

二・七の市場跡

中山道沿いの慈恵稲荷神社の社頭に市神様の石祠と御免毎月市場の定杭さだめぐいがあります。
室町時代から毎月2の日と7の日に月6回行われる六斎市が立ったといわれています。
1590年(天正18年)豊臣秀吉が民政の安定を考え、「禁制」を発し、二・七の市を容認しました。
市神石祠と定杭、禁制を残す市場跡は、全国的にも稀で、近世の商業史を知る上で貴重なものです。

常盤公園(浦和御殿跡)

市民の憩いの場として親しまれている常盤公園は、遡ること江戸時代、徳川家康が鷹狩りや視察をする際の休憩所として建築した浦和御殿がありました。
その後、1611年(慶長16年)浦和御殿は廃止され、のちに幕府直轄の御林となりました。
1893年(明治26年)に現在のさいたま地方裁判所の前身となる浦和地方裁判所が建設されました。
公園の周りの煉瓦造りの塀は裁判所当時のものです。(一部改修されています。)
現在常盤公園は、改修工事が進められています。

裏門通り

かつて埼玉県庁官舎の裏門に通じる道であったことから「裏門通り」として親しまれたことが名前の由来です。
昭和レトロな街並みを現代に残すこの通りは、ノスタルジックな気分に浸れるオススメの散策スポットです。

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門前通り〜埼玉会館

中山道から玉蔵院の山門につづく門前通りを歩きます。
山門をくぐり、正面に見えてくるのが玉蔵院の本堂で、隣には地蔵堂があります。
参拝後は、埼玉会館へ向かいます。
埼玉会館の建築デザインの特徴のひとつでもあるエスプラナード(散策路)を歩きます。

  • 歴史好きにおすすめ
  • 文化にふれる
  • 癒される風景
門前通り

中山道から玉蔵院の山門につづく通り。
入り口には大きな石柱看板があり、石畳も雰囲気があります。
飲食店も多く立ち並びます。

玉蔵院山門

元々は浦和御殿の門を拝領しましたが、元禄年間の火災で焼失してしまいます。
現在の山門は文化年間に再建されたものです。
江戸時代後期の代表的な仏教建築です。

玉蔵院

玉蔵院は、平安時代頃に弘法大師により創建されたと伝わる真言宗の古刹です。
桜の名所としても名高く、本堂横のしだれ桜は、樹齢100年以上といわれています。
境内の地蔵堂には、平安時代末期の作となる木造地蔵菩薩立像(埼玉県指定有形文化財)が安置されており、地蔵信仰の寺として長い歴史を持っています。

埼玉会館

埼玉会館は、ホールや展示室、会議室を兼ね備えた公共施設です。
その歴史を振り返ると、遡ること1878年(明治11年)、現在の建物がある場所に埼玉県師範学校校舎が完成しました。
同年8月には明治天皇の北陸行幸の際の行在所となり、「鳳翔閣」という美しい名前がつけられました。
その後、1923年(大正12年)、皇太子(のちの昭和天皇)のご成婚記念として埼玉会館の建築が計画され、旧校舎(鳳翔閣)は、北側に移設し県立図書館になりました。
鳳翔閣の一部は復元され浦和博物館となっています。
また、図書館は熊谷に統合されましたが、かつて図書館があった敷地に行在所となったことを記念する石碑が残っています。
1926年(大正15年)埼玉会館(旧館)が完成しました。
その後、老朽化のため、1966年(昭和41年)に改築されたのが、現在の埼玉会館です。
日本のモダン建築の巨匠と言われる前川國男氏が設計を手掛けました。
建物の外壁は前川建築の特徴である打ち込みタイル工法によるタイルで覆われています。

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県庁通り〜高砂小学校

県庁通りを歩き、中山道へ戻ります。
ここでも、老舗の鰻屋さんを発見。蒲焼の香ばしい香りがしてきました。
中山道を南方向へしばらく進むと銀行の一角に「埼玉県師範学校・埼玉県医学校発祥の地」と書かれた石碑があります。
浦和駅方面へ戻る途中には、明治期に開校した浦和最古の学校、高砂小学校があります。
どちらも文教都市・浦和らしい歴史を感じる景観です。

  • 学び・発見
  • 歴史を感じる
  • ファミリーにおすすめ
浦和のうなぎ

江戸時代、浦和近郊には多くの沼地が点在していました。
沼地にはうなぎをはじめ、川魚が多く生息しており魚釣りを楽しむ客で賑わうほどでした。
また浦和は、東京・日本橋と京都・三条大橋をつなぐ中山道の宿場町でもあり、街道を行き交う人々にうなぎをふるまい、その味の良さが評判になったのが「浦和のうなぎ」のはじまりといわれています。
江戸時代からつづく伝統の味は、現在でも多くの老舗によって受け継がれています。
例年初夏には、伝統の技や味をPRするイベント浦和うなぎまつりも開催されています。

浦和宿

日本橋から板橋宿、蕨宿を経て中山道3番目の宿場。
その間の行程は5里28町(約24km)。
宿の規模は時代によって異なると思われますが、幕末の1843年(天保14年)の「宿村大概張」によると、街並み10町42間(約1.2km)、人口1230人、家数273軒(内、旅籠15、本陣1、脇本陣3、問屋場、高札場各1)とあります。

埼玉県師範学校・埼玉県医学校発祥の地

1872年(明治5年)に学制が交付されると、埼玉県では、就学率の向上と教員の養成が急務となります。
翌年には、教員の養成と質の向上を目指して「学校改正局」が設置されました。
改正局は1874年(明治7年)に「埼玉県師範学校」となり、岸村(現在の岸町七丁目)に開校しました。
埼玉県師範学校は現在の埼玉大学・教育学部の前身のひとつとなった学校で、文教都市浦和の出発点ともいえます。
また、1875年(明治8年)には医学館が設立され、翌年には医学校となりました。
全国に6校しかないうちの1校となりましたが、わずか3年で廃校になってしまいました。
当初両校は、中山道沿いの同じ場所にありました。
現在は「東和銀行 浦和支店」となっており、敷地内には碑がたっています。

高砂小学校

浦和最古の学校で、前身の浦和郷土学校が1871年(明治4年)に玉蔵院の境内に開講されました。
現在の校地に移転後、学校制度の変遷により浦和第壱番小学、浦和尋常小学校、浦和第一国民学校と改称され、1947年(昭和22年)から高砂小学校となりました。
1985年(昭和60年)3月、「浦和市制50周年」を記念して、尋常小学校当時の門柱を復元した正門、通称「高砂門」と浦和市章があしらわれた瓦屋根に白壁の「真砂塀」が建てられました。

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