浦和駅東口からスタート。浦和競馬場へ続く昔懐かしい風景が残る前地通りを歩きます。途中「さいたま推奨土産品」を販売している和菓子屋さんとお煎餅屋さんに立ち寄ります。 前地通りから少し入ったところにありますが、両店とも前地通り商店会のお店です。前地通り商店会は埼玉県内の元気な商店街として「黒おび商店街」に認定されています。
JR浦和駅東口から徒歩2~3分。前地通りは浦和競馬場に向かって約700m続きます。前地通り商店会は1957年発足とその歴史は長く、昔懐かしい店先の風景のある商店街。ゆったりと時間が過ぎていきます。いろいろな飲食店やこだわりの食品を並べるお店もあります。季節ごとに地域イベントが行われ、なかでも毎年夏に行われるわんぱくまつりは地元の子どもたちでにぎわうそう。
埼玉県では、他の商店街の模範になるような取組を行っている県内の元気な商店街を「黒おび商店街」として認定していますが、前地通り商店会は「黒おび商店街」に認定されています。動画で訪れる加藤製菓さんと渡辺煎餅さんは前地通りから少し脇に入ったところにありますが、前地通り商店会のお店です。
前地通りを少し入った住宅地にある開業して60年のお煎餅屋さん。昔は店の前の通りを浦和競馬場の馬が散歩していたそう。競馬場が今よりずっと身近な存在だったようです。店先では季節の花に囲まれたうさぎのマスコットがお出迎え。うさぎは季節によって洋服が変わります!年中行事に合わせての楽しい飾り付けがお客様にとても喜ばれているそうです。昔ながらの「江戸前煎餅」はさいたま推奨土産品。他に胡麻煎餅やアラレなども販売しています。前地通り商店会のお店。
浦和競馬場は静かな住宅街の中にあり、競馬開催日以外は公園として開放され、市民の憩いの場となっています。正門近くの扉から競馬場に入り、実際に競走馬が走るコースを歩いて横断、迫力満点です!競馬場の真ん中を流れる藤右衛門川は競馬場の北側では暗渠になっています。その上の藤右衛門川通りを北へ進むと浦和駒場スタジアムです。スタジアムの周りの木々が綺麗に紅葉しています。
浦和競馬場は、戦後に制定された競馬法に基づき、昭和23年(1948年)に埼玉県主催の公営浦和競馬を初めて開催した歴史ある地方競馬場です。総収容人数は30,000人。
競馬開催日以外は公園として開放されています。馬場内には芝生広場、ソフトボール場、ジョギングコースなどが整備されています。ジョギングや散歩を楽しむ人も多く、市民の憩いの場となっています。動画では公園として開放されている競馬場を歩き、実際に競走馬が走るコースを歩いて横断します。迫力のある珍しい光景は一見の価値あり。
また、競馬場の中央には川が流れ、コース内には調整池があり、大雨の際は水を貯め洪水を防ぐ役割を果たしています。
藤右衛門川通りは、藤右衛門川を暗渠化し、その上を道路とし、昭和56年(1981年)に命名されました。川名は、江戸時代に川を開削した並木藤右衛門から名付けられたそう。
藤右衛門川は駒場の辺りで天王川と合流し、川口市で芝川に合流しています。別名谷田川。動画の石碑にある「谷田千本桜」は昭和12年(1937年)に完成した耕地整理事業の完成を祝い、谷田川沿いなどに1000本のサクラ植えられたもので、桜の名所として親しまれていました。藤右衛門川はその昔灌漑用水路でしたが、戦後住宅が密集し、大雨が降ると川が氾濫して付近の住宅に浸水被害を起こすようになりました。そのため、昭和48年(1973年)から水害氾濫地域の防止対策として暗渠化工事が進められ洪水は減少しましたが、桜は伐採または移植されました。通り沿いには「藤右衛門川改修完成記念碑」があります。浦和競馬場から下流は開渠になっています。動画では競馬場北側で暗渠から川が現れるスポットを訪れます。暗渠ファンによく知られているスポットです。
浦和駒場スタジアムは、駒場運動公園内にある陸上競技場兼サッカー場。昭和42年(1967年)の埼玉国体を機に作られたサッカー場。その後陸上トラックが増設されました。正式名称は駒場運動公園競技場ですが、平成24年(2012年)に、さいたま市と浦和レッドダイヤモンズ(株)が命名権に関する契約を締結し、競技場は「浦和駒場スタジアム」、補助競技場は「レッズハートフルフィールド駒場」となりました。収容人員 約21,500人。
動画では浦和駒場スタジアムのそばの「鹿島台の銀杏」が綺麗に黄色く色づいています。この銀杏は昭和63年(1988年)に当時の浦和市役所から移植されたもの。市役所付近は鹿島台と呼ばれ明治33年(1900年)に埼玉師範学校が設置された当時に植栽された樹木の一つだそうです。
青少年宇宙科学館は、人気のプラネタリウムの他、常設展やサイエンスショー等も充実しており、子どもから大人まで楽しみながら学べる科学館です。西に向かい、「さいたま推奨土産品」を販売しているチーズケーキ屋さんに立ち寄ります。次に南へ向かい本太氷川神社へ。本殿のまわりの木々が綺麗に紅葉しており、静かで厳かな雰囲気です。本殿の奥には見世棚造りの旧本殿が保存されています。境内には全国でここだけだという上を向いている神様「上向福徳神」が楽しそうに笑っています。
青少年宇宙科学館は、昭和63年(1988年)開館。プラネタリウムの投影やサイエンスショー等、子どもから大人まで楽しめる科学館。プラネタリウムではこどもに人気のキャラクターが登場する番組も投影。家族で楽しく星座や宇宙について学べます。
1階は「ふしぎ広場」。子供たちが遊びながら科学のふしぎに触れられます。2階の「宇宙広場」は宇宙に関する展示が充実。若田光一 宇宙飛行士の功績が紹介されているコーナーもあります。若田光一宇宙飛行士はさいたま市出身で青少年宇宙科学館の名誉館長です。宇宙服と生命維持システムから成る船外活動ユニット(EMU)の他、一緒に宇宙に持って行ったグッズ、国際宇宙ステーション(ISS)の個室やトイレの展示もあります。また、ソユーズ宇宙船帰還モジュール模型では、ほぼ実物大のシートに座わり、ドッキングなどを疑似体験。実際に宇宙船と地上管制官が交信する映像と音声は臨場感があります。
手作りチーズケーキの店 ダンテの店主は1977年創業でイタリアンレストランを営んでおり、コースのデザートとして誕生したチーズケーキが人気となり、1993年に南浦和にチーズケーキの専門店「DANTE」第一号店をオープンしたそうです。動画でお邪魔したのはもう一つのお店、工房店です。お店の名前の由来は、イタリアの詩人「ダンテ・アリギェーリ(1265~1321年)」の名。彼が生きていた頃のヨーロッパの古き良き時代に思いをはせ、なるべく古いケーキ作りのレシピを探して、試行錯誤して生まれたチーズケーキです。濃厚な口溶け、しっとり芳醇、熟成された味わいの店主こだわりのベイクドチーズケーキ。その他、レアチーズケーキ、チョコレートチーズケーキ、ベリーチーズケーキなど種類も豊富。「チーズケーキのラスク」はさいたま推奨土産品。ベイクドチーズケーキを低温で乾燥させたものです。日持ちするので手土産にもおすすめです。
本太氷川神社は、創建時期は定かではありませんが、宮司さんのお話によると、1,300年以上前から当地の人々の崇敬を受け、祀られていたとも言われており、平安時代には既に存在していたことがわかっているそうです。
本殿の奥には、昭和44年(1969年)まで本殿として使われた旧本殿が保存されています。形式は、一間社流れ見世棚造りで県指定有形文化財です。旧本殿には、「慶安3年(1650年)」の棟札(護摩札)が残っており、これが造営年代を示すものだと考えられています。
旧本殿の中にあった宮殿も非常に貴重な県指定有形文化財です(一般非公開)。宮殿の高さは74.8cm。宮殿前には長さ1.67mの一対の木鉾が立てかけられており、神輿の原型とも言われています。この地域の神輿活動が盛んなことは、この宮殿の威光があるかも知れません。神社には江戸時代、嘉永2年(1849年)の宮神輿が現存しています。宮殿は高埇(たかはな)佐衛門盛影が鳥居と共に神社に寄進したものです。宮殿屋根内には、宝徳3年(1451年)の墨書銘があります。中世のころ、本太氷川神社には、高埇郷の郡役所がありました。高埇郷は現在の大宮浦和地域です。高埇氏はその地頭でした。現在も大宮氷川神社のすぐ近くに高鼻の地名が残っています。鎌倉幕府が編纂した吾妻鏡に、奥州征伐に参加した高鼻和太郎の名前が残っていますが、その頃からこの地を支配していたと考えられます。
本殿向かって右側には、「上向福徳神」があります。上を向いているおめでたい神様は全国でここだけだそう。
「本太」の地名の由来は、室町鳥居の扁額に「元府址」とも書かれることから、古くは「本太」ではなく「元府趾 」で、府=役所があった場所、との意味です。室町時代前後に政治の中心地であったことがわかります。
境内は落葉樹ソロの木などが生い茂る厳かで静かな空間。武蔵野に残る唯一のソロの樹林で、一千年を超える大木もあります。動画で訪れた秋には大切に守られてきた神社の杜の木々が赤や黄色に色づいていました。
国道463号線の新浦和橋に並行してJR線にかかる歩道橋。トレインビューが楽しめます。